名言discovery ⑭ ~二コラ・テスラ~
あなたの憎しみを電気に変えたら、世界中を明るくできるだろう。
ニコラ・テスラ(1856年 – 1943年)
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素敵な表現ですね!
発明家・電気技師・機械技師である二コラ・テスラが残したとされる言葉です。
ざっくり人物紹介
二コラ・テスラは1856年、オーストリア帝国(現在のクロアチア)のスミリャンという村で生まれます。
父親のミルーチンは、セルビア正教会の司祭で、詩人でもあったようです。
母親のドゥカは、泡立て器などの調理器具類を発明していたとの事。
発明家としての下地はあったんですね。
5歳の時に、神童と呼ばれた兄を失い、その兄を上回ろうと勉学に励んだそうです。
この頃からすでに数学は得意だったとの事。
6歳の時に父の転任でゴスピッチ(クロアチア)に引っ越し。
1870年に高校に進学しますが、コレラに感染してしまい、9か月もの間、生死をさまよったとの事です。
1875年、グラーツ工科大学へ入学。この大学はウィーン工科大学と共に、オーストリアの工科大学としてトップクラスなんだそうです。
しかし、2年くらいたった頃、父親のミルーチンが死去。授業料が払えなくなり、中退します。
1880年、プラハ大学に留学。
1881年、ハンガリーのブダペスト国営電信局に就職。
電信局で働きながら、「交流電流」方式の活用方法の探究をしていたとの事。
1882年、フランス・パリへと移動。
ゼネラル・エレクトリック社のフランス法人・コンチネンタル・エディソン・カンパニーで才能を認められ、1年後にストラスブール(フランス)に転勤。
こちらで勤めている間も、プライベートではモーターの開発を行っていたようです。
そして、誘導モーターの開発に成功したとの事。(※イタリアの物理学者・電気工学者であるガリレオ・フェラリスもテスラとは別に誘導モーターを開発をした人物だそうです)
しかし、ヨーロッパでは誘導モーターに興味がある人物に巡り合えず、アメリカに渡ることを決意。
1884年に渡米し、エジソンの創ったエジソン電灯会社に採用されます。(先述したゼネラル・エレクトリック社もエジソンが設立した会社だそうです。)
しかし、エジソン電灯会社は直流による電力事業を展開。テスラは交流による電力事業をしたかった為にエジソンと意見が合わず、数か月で辞めてしまったようです。
1887年4月にTesla Electric Light Company(テスラ電灯社)を設立。
交流による電力事業を推進し、同年10月、交流システムの特許を出願します。
1888年、論文「A New System of Alternating Current Motors and Tran.」を執筆。
同年、アメリカ電子工学学会でデモンストレーションを行い、アメリカの技術者・実業家であるジョージ・ウェスティングハウスから研究費100万ドルと特許使用料を提供されます。
1891年、アメリカ国籍を取得。
同年、100万ボルトまで出力できる高圧変圧器(テスラコイル)を発明。
1893年、無線トランスミッターを発明。
1898年、点火プラグの米国特許および、無線操縦特許を取得。
1943年、86歳の時に冠動脈血栓症で死去。
死後の評価も高く、磁束密度の単位名にテスラの名が用いられたり、彼が遺した資料類がユネスコ記憶遺産に登録されたりしています。
1999年には、LIFE誌が行った「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれているとの事。
また、セルビア(当時はユーゴスラビア)の首都・ベオグラードにはニコラ・テスラ博物館があるそうです。同国では他にも100ディナール通貨で肖像が使われていたり、彼の名前がついている空港や発電所があるそうです。
生まれ故郷のスミリャンでもテスラの記念館があるとの事。クロアチアで2023年1月に導入したユーロ硬貨(10セント、20セント、50セント)でも彼の肖像が使われているそうです。
(生い立ちや経歴などはWikipediaを参照しています。)
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今現在も世界で争いが起きていますが、テスラ自身も2つの世界大戦時に生きていた人物です。
だからこそ、今回紹介した名言が生まれたのかもしれませんね。
どうにかならないものでしょうか?各国の首脳さん・・・