名言discovery ⑰ ~メアリー・ジョンストン~
叩かれたからといって、へこんでしまうことはないわ。
あれだけ叩いて卵を泡立ててもケーキはふくらむもの。
メアリー・ジョンストン(1870年 – 1936年)
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なかなかユニークな表現ですね。
小説家である メアリー・ジョンストン が残したとされる言葉です。
ざっくり人物紹介
メアリー・ジョンストンは1870年、アメリカのバージニア州ブキャナンで生まれます。
子供の頃から頻繁に病気になったため、家族や家庭教師によって自宅で教育を受けたとの事。
本を読むことが大好きだったそうです。
メアリーが16歳だった時、父親(ジョン・ウィリアム・ジョンストン)の仕事の関係で、家族はアラバマ州のバーミンガムに引っ越します。
その直後にジョージア州アトランタにある the Atlanta Female Institute および音楽大学に通い始めたとなっています。
通っていた期間は3か月ほどらしいですが、これが彼女が生涯で受けた唯一の正式な教育だったそうです。
1889年に母親(エリザベス・ディクソン・アレクサンダー・ジョンストン)が亡くなった後は、彼女が家族の母代わりになったようです。
1892年にニューヨークに移住しましたが、1896 年にバーミンガムに戻り、1902 年にはバージニア州リッチモンドに移ったとの事。
彼女の最初の著書は『Prisoners of Hope』(1898年)。
1899年には『To Have and to Hold』が雑誌「The Atlantic Monthly」に連載され、翌1900年に単行本化されます。
この作品は非常に好評で、この年のアメリカのベストセラー小説になったそうです。
その後の作品『Audrey』も1902年にアメリカで5番目に売れた本になるなど、かなり人気の作家だったようです。
メアリーは本を多数出していますが、以下の3作品が映画化されています。
『To Have and to Hold』(1916年と1922年に無声映画化)
『Audrey』(1916 年に無声映画化)
『Pioneers of the Old South』(1923年に『Jamestown』として映画化)
また、作家としての活動以外にも、女性参政権擁護活動も積極的にしていたようです。
1936年、バージニア州ウォーム スプリングスの自宅でブライト病により死去。65歳だったそうです。
このウォーム スプリングスの自宅ですが、2013 年に国家歴史登録財に追加されたとの事。
(リッチモンドにあった家も1971 年に登録されているようです。)
また、リッチモンドの国会議事堂広場にあるバージニア女性記念碑には彼女の名前が刻まれているそうです。
(生い立ちや経歴などはWikipediaを参照しています。)
仕事とかやってると、常に嫌な事ってあると思います。
その都度へこんでしまったら、本当に生きていく事が嫌になりますよね。
切り替えることは非常に難しいですが、出来る人はこの言葉を思い出してもらえれば。
でも、もし出来なければ、逃げても良いのでは とも思う次第です。
あまり無理せずに!