名言discovery ㉝ ~星野富弘~
辛いという字がある。
もう少しで、幸せになれそうな字である。
星野富弘(1946年 – 2024年)
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なるほど、言われてみればそうですね!
日本の詩人、画家であった星野富弘さんが残したとされる言葉です。
ざっくり人物紹介
星野富弘さんは1946年、群馬県勢多郡東村(現:みどり市)に生まれます。
東村立杲小学校、東村立東中学校、群馬県立桐生高等学校を経て、国立の群馬大学に入学。
1970年に同大学の教育学部保健体育科を卒業した後、高崎市立倉賀野中学校の体育教師になります。
しかし、クラブ活動の指導中、頭部からの落下事故で頸髄を損傷、手足の自由を失ってしまいます。
1972年、群馬大学病院に入院中、筆を口にくわえて文や絵を書き始めます。
1974年、病室でキリスト教の洗礼を受けたとの事。
1979年、まだ入院中でしたが、前橋で初の作品展を開いたそうです。
同年9月、退院し帰郷。
1981年に結婚。
この頃には雑誌や新聞に詩画作品やエッセイを連載していたそうです。
1982年、高崎で「花の詩画展」を開催。
1991年5月12日、故郷である勢多郡東村に村立富弘美術館(現 みどり市立富弘美術館)が開館します。
2005年4月、富弘美術館新館が開館。
2006年5月、熊本県葦北郡芦北町に芦北町立星野富弘美術館が開館。
同年6月、群馬県名誉県民となります。
2012年、第79回NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲「明日へ続く道」および「もう一度」を作詞。
2024年4月28日、呼吸不全のため78歳で死去。
代表作に
『花の詩画集 鈴の鳴る道』(1986年 – 205万部)
『かぎりなくやさしい花々』(1986年 – 106万部)
『花の詩画集 速さのちがう時計』(1992年 – 50万部)
『花の詩画集 あなたの手のひら』(1999年 – 60万部)
などがあります。
前述「花の詩画展」は国内だけでなく、ブラジルの各都市、ニューヨーク、ハワイ、サンフランシスコ、ロサンゼルスと、海外でも開催していたそうです。
また、ポーランド国立博物館での「バリアフリーアート展」に招待出品していたとなっています。
(生い立ちや経歴などはWikipediaを参照しています。)
星野富弘 関連作品
以前、「mother、mを取ったらother 他人です」
というCMがあったのを思い出しました。
日本語でも結構似たようなのがありそうですね。
にしても、さすが詩人です。
「もう少しで幸せになれそうな字」
もう少し頑張れそうな気がしてきますね。