松下幸之助
いくつになってもわからないものが人生というものである。
わからない人生を、わかったようなつもりで歩むほど危険なことはない。
山は西からも東からでも登れる。
自分が方向を変えれば、新しい道はいくらでも開ける。
重役の7割が賛成するプランは時すでに遅く、7割が反対するプランくらいでやっと先手がとれる。
どんなに悔いても過去は変わらない。
どれほど心配した所で未来もどうなるものでもない。
いま、現在に最善を尽くすことである。
悩みはあって当たり前。
それは生きている証であり、常に反省している証拠でもある。
思ったことが全部実現できたら危ない。
3回に1回くらいがちょうどいい。
苦しかったらやめればいい、無理をしてはならない。
無理をしないといけないのはレベルが低い証拠。
真剣に生きる人ほど無理はしない。
無理をしないというのは消極的な意味ではない。
願いはするが無理はしない。
努力はしても天命に従う。
これが疲れないこつである。
失敗すればやり直せばいい。
やり直してダメなら、もう一度工夫し、もう一度やり直せばいい。
塩の辛さ、砂糖の甘さは学問では理解できない。
だが、なめてみればすぐ分かる。
こけたら 立ちなはれ
立ったら 歩きなはれ
私は、失敗するかもしれないけれども、やってみようというような事は決してしません。
絶対に成功するのだということを、確信してやるのです。
何が何でもやるのだ、という意気込みでやるのです。
世間には、大志を抱きながら大志に溺れて、何一つできない人がいる。
言うことは立派だが、実行が伴わない。
世の失敗者には、とかくこういう人が多い。
商売とは、感動を与えることである。
誰も争うために商売しているわけではありません。
一方はこれで十分だと考えるが、もう一方はまだ足りないかもしれないと考える。
そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む。
仕事が伸びるか伸びないかは、世の中が決めてくれる。
世の中の求めのままに、自然に自分の仕事を伸ばしてゆけばよい。
売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永久の客を作る。
石の上にも三年という。
しかし、三年を一年で習得する努力を怠ってはならない。
無限に発展する道はいくらでもある。
要はその道を探し出す努力である。
何としても二階に上がりたい、どうしても二階に上がろう。
この熱意がハシゴを思いつかせ、階段を作りあげる。
上がっても上がらなくてもと考えている人の頭からは、ハシゴは生まれない。
志を立てるのに、老いも若きもない。
そして志あるところ、老いも若きも道は必ず開けるのである。
とにかく、考えてみることである。
工夫してみることである。
そして、やってみることである。
失敗すればやり直せばいい。