名言discovery ⑯ ~バーナード・ショー~
自由とは責任を意味する。
だから、たいていの人間は自由を恐れる。
バーナード・ショー(1856年 – 1950年)
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これは興味深い名言ですね。
文学者・劇作家・評論家・教育家など多彩な経歴を持つ バーナード・ショー が残したとされる言葉です。
ざっくり人物紹介
バーナード・ショー(本名:ジョージ・バーナード・ショー)は1856年、アイルランドのダブリンに生まれます。(当時はグレートブリテン及びアイルランド連合王国だったそうですが、1922年にアイルランドの南部26県が分離。北アイルランドまでが現在のイギリスの一部です)
若いころから「ジョージ」のファーストネームが嫌だったようで、多くの著作ではジョージの名前を省いて執筆しているそうです。
一族は元はスコットランド貴族との事。
父のジョージ・カー・ショーは法務省の役人だったそうですが、やめた後は穀物卸売商を営んでいたそうです。
母のルシンダ・エリザベスは地方の紳士階級の出身となっています。
1871年にダブリン英語科学商業学校を卒業した後は、ダブリンの土地仲介業者のもとで働いていたそうです。
1876年、ロンドンで音楽教師として働いていた母や姉たちを追ってショーもロンドンへ行きますが、稼ぎは僅かだったそうで、母の収入と父の仕送りに頼って生活していたようです。
1882年、ヘンリー・ジョージ(アメリカの政治家・作家)の講演を聴いたのがきっかけで社会主義に傾倒。
1884年にフェビアン協会(イギリスの社会主義知識人による運動。現在も労働党の基盤の団体として存続)が設立されると、すぐに入会したそうです。
同年に社会主義雑誌『Today』が発刊。「非社会的社会主義者」 と「カシュル・バイロンの職業」が連載されます。
1887年には宣伝雑誌『Our Corner』に「不合理の縁」と「芸術家の恋」が連載され、才能を認められます。
その後もいくつかの紙面で書評や批評といったものを担当していたそうです。
1892年、ショーの才能を認めていた人物の一人、ウィリアム・アーチャーとの合作である戯曲『やもめの家』が上演。
1899年、『分からぬものですよ』を舞台協会(Stage Society)に提供。
1898年、シャーロット・ペイン=タウンセンドと結婚。
1914年、ウェスト・エンド(ロンドンの地区。行政、商業、文化施設などが集中しており、劇場も多い)で興行的な成功を収めます。
1925年、『聖女ジョウン』(1923年初演)でノーベル文学賞を受賞。
1950年、腎臓浮腫の悪化により死去。94歳だったそうです。
代表作として、上記の作品の他に『ピグマリオン』(1913年初演)があります。
こちらの作品は、1938年に映画化され、アカデミー脚色賞を受賞しています。
このピグマリオンを原作として、『マイ・フェア・レディ』のタイトルでミュージカル化・映画化されており、ブロードウェーでも大ヒット。
現在も世界各地で上演されています。
(生い立ちや経歴などはWikipediaを参照しています。)
大抵の人は「○○に縛られたくない」と、自由に憧れるような発言をしていると思いますが、知らず知らずのうちに、ルールに乗っ取って生きています。
結局、そっちの方がラクだからなのかもしれないですね。言い訳も出来ますし。
「自由とは責任を意味する」=まさに「自己責任」ですね。