名言discovery ⑲ ~ジークムント・フロイト~
大人になるということは、あいまいさを受け入れる能力を持つということである。
ジークムント・フロイト(1856年 – 1939年)
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なるほど な言葉ですね。
心理学者・精神科医である ジークムント・フロイト が残したとされる言葉です。
ざっくり人物紹介
ジークムント・フロイトは1856年、当時あったオーストリア帝国・モラヴィア辺境伯国のフライベルク(現在のチェコ東部)に生まれます。
父親は毛織物商人だったヤーコプ・フロイト。
母親はアマーリア・ナータンゾーン。
1859年、フロイトが3歳の時にウィーンへ引っ越します。
1873年、17歳でウィーン大学に入学。
2年間物理を学んだ後、医学部の生理学研究所に入ったとの事。
両生類・無顎類の脊髄神経細胞を研究していた彼の論文が、ウィーン科学協会で発表されたとなっています。
1881年(25歳)ウィーン大学卒業。
1885年にフランスのパリへ行き、神経学者ジャン=マルタン・シャルコーのもと、催眠によるヒステリー症状の治療法を学んだそうです。
1886年、ウィーンへ帰ったフロイトは、シャルコーから学んだ催眠によるヒステリーの治療法を実践するため、開業医となります。
治療経験を重ね、さまざまな改良を加えた後、最終的にたどりついたのが自由連想法。
そして、この治療法を精神分析(独: Psychoanalyse)と名づけたそうです。
1895年、ヒステリーの原因は幼少期に受けた性的虐待の結果であるという病因論ならびに精神病理を発表します。
これは今で言う心的外傷やPTSDの概念に通じるものだそうです。
1902年の秋に、ヴィルヘルム・シュテーケル(オーストリアの心理学者)とアルフレッド・アドラー(オーストリアの精神科医・心理学者)を招待した「心理学水曜会」という集会が開かれるようになります。
そして、1907年からこの集会に参加していたのがカール・グスタフ・ユング(スイスの精神科医・心理学者)。
フロイトはユングに特別期待をかけていたそうです。
そしてユングも初めはフロイトを深く敬愛していたとの事。
この集会はしだいに国内外から参加者が増えて、1908年には「ウィーン精神分析協会」と名乗るようになったそうです。
スタンリー・ホール(アメリカの心理学者)の招待を受け、1909年にアメリカのクラーク大学創立20周年式典に出席、講演後に大学長から博士号を授与されたそうです。
この時一緒に渡米したのはユングとフェレンツィ・シャーンドル(ハンガリーの精神科医)。
3人でナイアガラの滝などを見るなど、しばらく滞在した後帰国したようです。
しかし、帰国後は精神分析運動に対しての反発が高まり、精神分析を支持する者は学会での討論を禁じられたそうです。
1910年、「国際精神分析学会」が創立。フロイトはユングを初代会長に就任させます。
この頃までは良い関係だったらしいですが、徐々に学問的な見解の違いから距離を置くようになってしまい、1914年にユングが国際精神分析学会から脱退してしまいます。
さらには、心理学水曜会の時からの協力者だったアドラーやシュテーケルも離れていってしまったようです。
1914年~1918年まで第一次世界大戦。
過酷な生活をなんとか耐えますが、終戦後に弟子や娘、さらに姪や孫を失うなど不幸が重なります。
フロイト自身も白板症を発症、その後33回も手術を受けたとの事。
1932年からはナチスによるユダヤ人迫害が激しくなり、フロイトの友人や弟子たちは国外に亡命。出版していた本は禁書に指定されて焼き捨てられたとの事。
ヨーロッパに残った弟子はアーネスト・ジョーンズ(イギリスの医学者・精神科医)1人だったそうです。
そして1938年、オーストリアにナチス・ドイツが侵攻。フロイトの自宅にもやってきます。この時、娘のアンナが一時的に拉致されたそうです。
フロイトの身を案じ、ジョーンズが危険を冒してまでウィーンに入り、ロンドンへの亡命を説得。
なかなか同意しないフロイトでしたが、最後はジョーンズの熱意に動かされ亡命を決意。
ウィーンを去ることになります。
ロンドンに入ったフロイトは熱烈な歓迎を受けたそうです。
亡命先でも毎日4人の患者の分析治療をし、『モーセと一神教』『精神分析概説』『防衛過程における自我分裂』などを執筆。
しかし、この頃のフロイトは癌に冒され、もはや手術不能の状態だったそうです。
1939年の8月には食事が困難になり、9月には敗血症を合併。
そして9月21日に10年来の主治医を呼び、死の決意を告白。
翌朝に過量のモルヒネを投与され生涯を終えます。83歳だったそうです。
(生い立ちや経歴などはWikipediaを参照しています。)
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多くの人が、「大人になるという事は、物事をはっきりさせられる存在になる事」 だと思ってる気がします。
でもフロイト氏はそれと逆で、「あいまいさを受け入れられる存在」だとしています。
確かに、今の世界の世論を見ても多様性がキーワードです。(やや行き過ぎてるような気もしますが・・・)
色んな考えがあって良いと思います。