名言discovery ㉕ ~マーティン・ルーサー・キング・ジュニア~

疑わずに最初の一段を登りなさい。
階段のすべてが見えなくてもいい。
とにかく最初の一歩を踏み出すのです。


マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929年 – 1968年)

この名言への投票はこちらのページから出来ます。

チャレンジできる人とできない人の差ですかね。

牧師であり、公民権運動の指導者でもあった マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師) が残したとされる言葉です。

ざっくり人物紹介

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは1929年、アメリカのジョージア州アトランタで生まれます。


幼少の頃、隣に住んでいた白人の男子2人と遊んでいたが、彼らの母親に「(黒人とは)二度と遊ばせません」と宣言されたそうです。

これが、キングが受けた初めての差別体験になります。



1942年、アトランタのブーカー・T・ワシントン高校に入学。

ある日、キングは弁論大会に出場して優勝したそうですが、その帰りのバスの中で、白人から「席を譲れ」と強制されます。

キングもそれには怒ったらしいですが、この経験が後のバス・ボイコット事件運動へとつながっていきます。



1944年、モアハウス大学に入学

1947年、牧師の資格を取得。


1948年、モアハウス大学を卒業後、クローザー神学校に入学。大学院生として3年間学びます。

この時、マハトマ・ガンディー(インドの宗教家・政治指導者)の思想に大きな影響を受けているようです。



1955年、ボストン大学神学部で博士号を取得。

ボストン大学在学中にコレッタ・スコットと出会い、結婚。



1954年、アラバマ州モンゴメリーのデクスター・アベニュー・バプテスト教会の牧師に就任。



1955年、ローザ・パークス逮捕事件が発生。(黒人であるローザ・パークスがバス内で白人に席を譲らなかったために逮捕された事件)

高校時代に同じような差別を受けていたキングは激しく抗議。

モンゴメリー・バス・ボイコット事件運動を計画し、運動の先頭に立ちます。
(名前の通り、バスに乗車することを拒否する運動。当時、この地域のバス利用者の約4分の3が黒人だったそうです。その黒人たちが一斉に利用しなくなった為、バスの事業者は経済的に大きな打撃を受けたそうです。)

この運動により、連邦最高裁判所からバス車内人種分離法違憲判決を勝ち取ります。



その後、公民権運動はアメリカ全土に広がり、キングは有力なリーダーの一人となります。



1957年、南部キリスト教指導者会議 を結成し、会長に就任。



1963年、アラバマ州のバーミングハムで黒人の解放運動を開始。

この運動は成功しますが、キングはその後、バーミングハム市警に逮捕されてしまいます。

この時、同じく公民権運動家でもあった歌手のハリー・ベラフォンテが保釈金を支払い、キングは釈放されたそうです。



1963年、ワシントンでリンカーンの奴隷解放宣言100年を記念する大規模な集会を企画。

この集会でキングは、

I Have a Dream”(私には夢がある

を含む演説を行います。

この演説はアメリカ国内のみならず、世界的にも内容が高く評価されており、1961年のジョン・F・ケネディの大統領就任演説と並び、20世紀のアメリカを代表する名演説とされています。




キングは徹底して「非暴力主義」を貫きました。

同じ黒人解放運動でも、マルコムXは過激なやり方だったため、対立していたようです。


そのマルコムXは1965年に暗殺されてしまいますが、1968年にはキングも銃撃により暗殺され、この世を去ります。

奇しくも、共に39歳の時だったそうです。




生前の功績を称え、アメリカでは1986年より、キングの誕生日(1月15日)に近い1月の第3月曜日を、キング牧師記念日Martin Luther King, Jr. Day)として祝日にしています。


1999年のLIFE誌「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」にも選ばれています。


なお、暗殺現場となったモーテルは国立公民権博物館となっているそうです。


(生い立ちや経歴などはWikipediaを参照しています。)




チャレンジできない人の多くは、先を考え過ぎている傾向があると思います。

失敗したら怖いですもんね。

でも、何かを成し遂げている人は成功と同じくらい、もしくは断然多く失敗もしています。

キング牧師のこの言葉、2行目が非常に重要だと個人的に思っています。

目次