名言discovery ㉚ ~手塚治虫~
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手塚治虫(1928年 – 1989年)
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全くもってその通りだと思います。
日本の漫画家・アニメ監督であり、医師でもあった手塚治虫さんが残したとされる言葉です。
ざっくり人物紹介
手塚治虫(本名:治)さんは1928年、大阪府豊能郡豊中町(現・豊中市本町付近)で生まれます。
父は会社員でアマチュア写真家の手塚粲さん。
母は文子さん。
手塚さんが5歳の頃、兵庫県の川辺郡小浜村(現・宝塚市)に移り住みます。
1935年、池田師範学校附属小学校(現・大阪教育大学附属池田小学校)に入学。
両親共に東京出身ということもあり、手塚さんは近畿地方の方言を喋れず浮いた存在だったとの事。
小学3年生の時に彼の最初の漫画である「ピンピン生チャン」を書きあげます。
5年生のころには長編漫画「支那の夜」を完成させます。
この漫画の評判が良く、教師や同級生からも一目置かれる存在になったようです。
ペンネームの「手塚治虫」もこの頃から使い始めたとの事。
1941年、大阪府立北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)に入学。
軍事色が強まっていた時期であり、小学校時代とは一変し、漫画を描いてるのを教官に見つかると殴られてしまったようです。
1944年夏に、体の弱い者が集められる強制修練所に入れられます。9月からは学校に行くかわりに軍需工場に駆りださたとなっています。
1945年6月、大阪大空襲に遭遇。
頭上で焼夷弾が投下されたそうですが、手塚さんは幸いにも生き残れます。
この体験は後の作品、『紙の砦』(1974年)や『どついたれ』(1979年 – 1980年)で描かれているそうです。
同年7月、大阪帝国大学(現:大阪大学)附属医学専門部の試験を受け、入学を許可されます。
手塚さんは入学後も漫画を描き続けていたとの事。
終戦後の1946年、酒井七馬 氏と出会い、長編ストーリー漫画の合作の話を持ちかけられます。
手塚さんにとって願ってもない話であり、200ページの描き下ろし長編『新寶島』が制作されます。
翌1947年1月に出版されると、当時としては異例のベストセラーとなったそうです。
この作品がきっかけで、大阪から赤本ブームが起こっていったとの事。
(赤本:少年向けの本の事。大学の問題集の赤本とは別です。)
漫画の執筆活動が忙しくなるにつれ大学の単位取得が難しくなり、医業と漫画との掛け持ちは諦めざるを得なくなります。
ここで手塚さんは母親の後押しもあり漫画家の道を選びますが、その後大学を卒業して1952年に医師国家試験に合格、翌年には医籍登録もされています。
その後は、
『ジャングル大帝』
『鉄腕アトム』
『リボンの騎士』
『火の鳥』
といった超有名作品を描き続けていきます。
ちなみに、1952年に宝塚から東京都に移住しています。
翌1953年には豊島区のトキワ莊に入居。
トキワ莊はその後も、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫といった超有名漫画家が住んだことから、聖地とされています。
1961年、アニメーション制作のため「手塚治虫プロダクション動画部」を設立。
1962年「株式会社虫プロダクション」と改名して法人化。
前述の鉄腕アトムをテレビアニメ化することに成功、大人気作品となります。
しかし、60年代後半からは人気が低迷、1973年に虫プロダクションが倒産します。
手塚さん個人も推定1億5000万円の借金を背負うことになります。
その状況を救った作品が、1973年に連載開始された『ブラック・ジャック』。
翌1974年には『三つ目がとおる』も連載が開始。
さらに1976年には途中で中断していた『火の鳥』が再開。
これらの作品によって、手塚さんは本格的に復活を遂げます。
1988年3月、突然の腹部の激痛により、救急搬送。
進行性のスキルス胃癌と診断され入院。
翌1989年2月、60歳の時に入院先の半蔵門病院で死去。
漫画・アニメ界に多大な貢献をし、数々の賞を受賞。国からは勲三等瑞宝章を授与されています。
後続の漫画家達にも大きな影響を与え、「漫画の神様」とも呼ばれています。
(生い立ちや経歴などはWikipediaを参照しています。)
手塚治虫 関連作品
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冒頭に書いた通り、手塚さんの言葉は疑いようもなくその通りなのですが、近年はインプットもアウトプットも簡単に出来るので弊害が・・・
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