名言discovery ㉜ ~リリアン・ヘルマン~
流行を追うために善悪の見境がつかなくなるのはよくないわ。
リリアン・ヘルマン(1905年 – 1984年)
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バズればお金が稼げる時代、見境がつかなくなってる人が多くなっちゃいましたね。
アメリカの劇作家である リリアン・ヘルマン が残したとされる言葉です。
ざっくり人物紹介
リリアン・ヘルマンは1905年、アメリカのルイジアナ州ニューオーリンズで生まれます。
ユダヤ人の家庭だったとの事。
幼少期は、1年の半分をニューオーリンズの叔母の家に寄宿し、残り半分はニューヨークで過ごしたとなっています。
1934年、デビュー戯曲『子供の時間(The Children’s Hour)』がブロードウェイで上演。大ヒットします。
その後は
『子狐たち(The Little Foxes)』(1939年)
『トイズ・イン・ジ・アティック(Toys in the Attic)』(1959年)
といった作品を出していきます。
1960年代後半からは
『未完の女 (An Unfinished Woman)』(1969年)
『ペンティメント(Pentimento)』(1973年) ※後に『ジュリア 』として映画化され、アカデミー賞を3部門で受賞。
『眠れない時代 (Scoundrel Time)』(1976年)
といった自伝的作品を発表していたそうです。
ヘルマンは戯曲作家として活躍するかたわら、さまざまな政治活動にも参加していたとの事。
「全米非参戦委員会(Keep America Out of War Committee)」に加わり、アメリカ合衆国はヨーロッパでの戦争に関わりあうべきではない という立場をとっています。
戦後の1952年、下院非米活動委員会に呼び出され、共産党加入者の友人の名前を尋ねられますが、ヘルマンはこれを拒否。
この結果、ヘルマンはハリウッドの映画産業界のブラックリストに掲載されてしまいます。
※1950年代中頃まで、アメリカでは共産主義者排斥運動(赤狩り)があったそうです。共産党と関わりのある人物を洗い出し、中には有罪判決を受けた人もいるそうです。
晩年は作家のメアリー・マッカーシーと確執があり、ヘルマンは彼女相手に訴訟を起こします。
しかし、その訴訟がまだ決着してない1984年6月、79歳の時に死去。
この確執は、2002年にノーラ・エフロンによって『Imaginary Friends』というタイトルで戯曲化されたとの事。
なお、訴訟はヘルマンの遺産継承者によって取り下げられたそうです。
(生い立ちや経歴などはWikipediaを参照しています。)
リリアン・ヘルマン 関連作品
多くの人は流行に流されます。
それ自体は問題ないのですが、SNSのビジネスモデルがバズったもん勝ちになっている為、アクセスを増やそうと無法地帯になっちゃっています。
コロナ禍時の自粛警察など、流れに乗じて間違った正義感を押し付けてくる人もいます。
まさしく、ヘルマン氏の言葉のように、善悪の見境がつかなくなってる典型です。
せめて人に迷惑かけることはやめてほしいですね。