名言discovery ④ ~宇野千代~
忘れること、それが最上の治療法であり、恋人との愛をつなぐエチケットです。
宇野千代(1897年 – 1996年)
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後半をどう捉えるべきでしょうか?
小説家・随筆家である宇野千代さんが残したとされる言葉です。
ざっくり人物紹介
宇野千代さんは、1897年に山口県の玖珂郡横山村(現在の岩国市)で生まれます。
小説家および随筆家(エッセイスト)となっていますが、編集者や着物デザイナー、実業家などの一面もあったようです。
実家は裕福だったそうですが、父親はなんと、生涯で生業に就いたことが無いそうです。
母親は幼い頃に亡くなっており、その後にかなり若い女性(千代さんと12歳しか違わなかったらしい)と再婚。
千代さんはその女性を実母と思って育ち、慕っていたそうです。
なお、その女性が後の小説「おはん」のモデルになったとの事。
※「おはん」は1960年と1978年年にテレビドラマ化、1984年に映画化されています。
朝鮮の京城府(現在の韓国・ソウル特別市)・京都・東京と移り住み、さらに北海道へ。
1921年、『時事新報』(かつて存在した新聞)の懸賞短編小説に『脂粉の顔』が当選、作家としてデビュー。
その後は、知り合った男性(尾崎士郎:小説家)に一目惚れし、また東京で暮らし始めたとの事。
結婚は上記の尾崎氏を含め、4回くらいしているようです。
その度に家を建て替えたそうで、トータルでは11軒も家を建てたのだとか。
代表作には上記「おはん」のほか、
「色ざんげ」
「幸福」
「或る一人の女の話」
「生きて行く私」
など。
「生きて行く私」は1984年と1991年にテレビドラマ化してるみたいです。
野間文芸賞(1957年)、女流文学賞(1970年)、日本芸術院賞(1972年)などを受賞した後、晩年(1990年)には文化功労者を受章。
1996年、急性肺炎により死去。98歳だったそうです。
(生い立ちや経歴などはWikipediaを参照しています。)
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元恋人によるストーカー事件がたまに報道されてコワいですけど、お互いにきれいさっぱりと別れられたら良いですよね。
後に偶然出会ったとしても、
あの時、あんな事あったよね。
と笑顔で話せる。
そんな恋愛(失恋)だったら、良い経験ではないでしょうか。